名古屋大学医学部附属病院腎臓内科日記

当教室の後期研修医の日記も随時更新中です。

中国「銀川」での講演

2015年7月8日~10日に、中国の銀川Yinchuanという場所に行ってきました。
中国腎臓学会の理事長である余(Yu)先生にご招待を受け、日本のネフローゼ症候群の実情について講演してきました。この1年間で、中国は3回目です。



銀川は西安の少し東にある町で、本来は砂漠のような場所です。もともとは、イスラム教徒(遊牧民?)が住んでいたところのようです。そこに流れる黄河から人工的に水を引いています。町の中は緑が一杯です。

中国に行くといつも大歓迎を受けるのですが、2日間にわたりヒツジの肉をたくさん食べました。写真はヒツジの丸焼きです。迫力ありました。ビニールの手袋をはめて、手掴みでムシャムシャと食べます。ワイルドでした!
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ヒツジの丸焼き 手足わかるでしょ!
ヒツジの丸焼きを手際よく切っています。
左前は中国腎臓学会理事長の余先生。ひょうきんな先生なんです。

いつも感じることは、中国は広い!どこまで行っても人がたくさんいる!声が大きい!お酒が強い(53度のマオタイ)!ということ。
中国は奥深いです。
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名古屋大学では「多発性嚢胞腎PKD」患者の治療に取り組んでいます。

 皆様もご存知の通り、本年から指定難病の制度が変わりました。IgA腎症と多発性嚢胞腎PKDが新たに難病指定されました。多発性嚢胞腎PKDは、厚生労働省の難治性腎疾患に関する調査研究班(研究代表者・丸山彰一)で扱う重点4疾患のひとつです。現在、名古屋大学では、多発性嚢胞腎PKDの総合的な治療に力を入れています。

 多発性嚢胞腎PKDは従来は特別な治療法が存在しませんでしたが、昨年トルバプタン(サムスカ)という利尿薬が進行を抑制する治療として認可されました。早期~中期には、このトルバプタン(サムスカ)治療が有効です。末期には腹膜透析と腎移植を進めています。

 名古屋地区には、まだまだ治療を受けていない多発性嚢胞腎PKD患者さんが多くいます。名古屋大学では、こうした現状を打破するために、今後も啓発活動に力を入れて行きたいと考えています。

丸山先生、誕生日おめでとうございます!

7月16日は再生班らしく、嵐の中、歓迎会を行いました。なぜこんな日に歓迎会を行ったのかというと・・・7月14日に丸山先生が誕生日を迎えられ、そのお祝いもさせていただきたかったからです(幹事さん、さすがです)。
こんなバラをくわえちゃうお茶目な丸山先生、なかなか見ることができませんが、今年の抱負はさらなる名大の発展を望まれていました。
丸山先生の今後の再生班、臨床研究班、その他臨床などでのご活躍をお祈りしております。

ちなみに7月は丸山先生、坪井先生をはじめ、賢い先生が多いらしく、28日に誕生日の幹事さんも誇らしげでした♡(幹事さんも研究がんばろう!)

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ISSCRに行ってきたよ5

第5話 三代目加藤とフィンエアと

 第4話あらすじ:ストックホルムに行ったらラーメンを食べよう

 ストックホルムの滞在も最終日である。この日はまずストックホルムにあるカロリンスカ研究所に向かった。カロリンスカ研究所は、実は滞在するホテルから徒歩圏内にある。ただ、近くからバスも出ているので、それに乗る一行。ほどなくして到着すると正面にあるのは病院らしき建物。少し中に入って見学したが、あまりどんどん入って行ける雰囲気でもない。ラボは別のところにありそうだったが、特にアポイントがあるわけでもなく、そのまま帰ることに。
 帰りのバスはセーデルマルム島方面へ向かうバスだったので、そちらへ向かうことに。セーデルマルム島には「三代目加藤」の店があるのだ。ストックホルム通の中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれないし、いらっしゃらないかもしれないし、知るわけない気もするが、この「三代目加藤」は寿司屋である。
 ここのご主人は、空手家として世界を回り、最終的にスウェーデンにたどり着き、寿司屋を開いたというエピソードが「地球の歩き方」に書いてあった。なかなか趣き深い。三代目が何を指すのかも不明だし、スウェーデンに空手の世界で一体何があるのかも気になる。このエピソードだけでお腹いっぱいになれそうな深みを持っていると言える(え、そうでもない?)。
 そんな「三代目加藤」の店に出会えると良いな、なんて思ったり、思わなかったりしながら、セーデルマルム島をぶらぶらする三人。ちょっとした高台にあるので、市街地を臨む眺めは素晴らしい。くるくる歩き回った結果、「三代目加藤」の店には出会えず、ガムラスタンへ行くことにした。ちなみに後で振り返ると歩いたコースから「三代目加藤」にあと十数mまで接近していたわけだが、本当にどうでもよい。
 この後、ガムラスタンでコーヒーを飲み、ホテルへ戻ってチェックアウトした。ホテルにタクシーを呼び、アーランド空港に向かう。アーランド空港は来た時のブロンマ空港とは違って、かなり大きな国際空港であった。ここからヘルシンキ行きの飛行機に乗り込む一行。
 帰りの乗り継ぎはシビアであった。ヘルシンキに到着してから次の飛行機の出発までの時間が約45分の予定となっており、かなりタイトなスケジュールになっていた。
 ヘルシンキ行きの飛行機に乗り込む一行。行きで荷物をロストさせたにっくきフィンエアだが、ぜいたくは言っていられない。席はバラバラで坪井先生は前から4列目であったが、その前の席に超が付くくらい有名な方が座っていて、さすがISSCRと言いたくなる。神村君は一番後ろの席で、その横には日本人らしき人が座った。
 そうして乗り込んだものの一向に飛び立つ気配がないまま、時間が過ぎて行く。ただでさえ乗り継ぎがぎりぎりなのに、参ったなと思いながら、神村君はスマートフォンで小説を読み始める。何を隠そう、飛行機内は読書派なのだ(だから?)。
 すると、隣の日本人らしき人が、話しかけて来た。小説で日本人とばれたからだ。
 話してみると、やはりISSCRの参加者で、大阪に向かうという。大阪行きは名古屋行きの10分後くらいとのことだったが、それでも心配そうであった。ネットで次の飛行機を検索したりしているが、どうもこの日は、今から乗り継ぐもの以降の日本行きはない様子。東京、大阪、名古屋行きが同じ時間帯に重なっているようだ。「さすがに待っててくれませんかね」と神村君が言うと、「いや、海外は平気で置いてきますよ。アメリカとかそうでした」と経験豊富さをのぞかせるが、全くもって不吉で、そして、完全に無意味である。飛行機は出発予定時刻を15分すぎても全く動かない。
 自力でどうにかできる範囲を超えているので、小説を読み進める神村君。しばらくすると1人、遅れて飛行機に乗ってきて、そこからまたしばらくして飛行機が動き始めた。離陸したのは次の便が出発する1時間と10分前のこと、約30分遅れの出発であった。
 隣の方は偶然にも同じ間葉系幹細胞を研究されており、しかも腎臓が治療ターゲットとのことであった。意外な接点もあり、機内では間葉系幹細胞の話をして過ごした。神村君のポスターの内容をちょっと覚えておられたりして、震え上がる神村君(ただいま,一部に過剰な表現がございました)。
 ほどなくしてヘルシンキに到着。着陸した時点で次の便の出発予定時刻20分前くらい。着陸したと言っても飛行機から出られるまでに時間がかかるし、一番後ろの席だとなおさらである。ようやく飛行機を出たところで、走り出す。既に坪井先生と金先生の姿はみえない。東京行きのお客様はいませんか、と職員が探していたりして、名古屋行きを探していないことに不安を覚えるが、とにかく走るしかない。出国手続きを終え、再び走ると目的のゲートが見えてくる。ゲートの向こうで坪井先生と金先生が待っていてくれて、安心する神村君。無事に3人とも名古屋行きの飛行機に乗ることができた。
 名古屋までは9時間弱。行きよりも1時間程短い。日本はこれから深夜になろうという時刻なので、機内では寝て過ごすのがベストだが、隣の人が延々映画を見続けたためにチカチカしてほぼ眠れず、日本に着いた。
 中部国際空港に降り立ち、荷物を待つ3人。「神村先生のはまた届かないかもね」なんて冗談を言いながら流れてくる荷物を眺める。同乗者は次々と荷物を手に去って行く。なかなか荷物が流れてこないので、あたりを見ると、係員らしき人が紙のリストを見ながら、乗客に声をかけている。どうやら荷物が届かなかった人のようで、別の方に連れて行かれていた。こちらに声をかける様子はないので、一安心。
 しかし、荷物は流れてこない。今回は神村君のものだけでなく、3人とも、である。
 行きで荷物が届かなかった神村君は既に無我の境地である。宇宙と一体になり、時の流れに身を委ねれば、全ては雑事。帰りの荷物が届かないなどいかほどのことか(行きに比べれば)。でも、届いて欲しいなあ。そんな気分だ。
 全ての荷物が出揃ったが、やはり3人の荷物はない。先ほどのリストを持った係員に声をかけると、荷物が届いていないリストにばっちり3人の名前が載っている。「フィンエアはロストが多いですね」なんて言われても、何の慰めにもならない。できることといえば、二度とフィンエアには乗るまいと誓うことくらいである。
 まあ、できれば、ヘルシンキには行ってみたいけど。

ISSCRに行ってきたよ4

 第4話 ラーメンと帰国前夜と

 第3話あらすじ:気球を買ったよ。ロストしていた荷物が届いたよ。

 4日目。ストックホルムはこの時期、日が長い。夏至近くなのだから当然である。朝は3時台に日の出、夜は10時近くに日没である。日本との時差もはたらいてか、3人とも早寝早起きを繰り返していた。みんなだいたい4時~5時台に起きるという具合である。
 この日は観光もそこそこに、学会に向かった。
 今更感が際立つが、説明すると、今回の国際幹細胞学会、ISSCRに向かったのは、腎臓内科にある研究班の1つ、再生班に属する3名である。この日、その再生班が研究を行っている間葉系幹細胞のセッションが予定されており、あと、一応、神村君のポスター発表も控えていた。
 金先生の時もそうだったが、この学会のポスターは写真付きが推奨されている。しかし、写真付きのポスターが展示されてるなんてなかなかの罰ゲームである。ポスターを貼ったはよいものの、神村君なんかはもう恐ろしくて自分のポスター周辺をモニターできない。坪井先生から、ポスター、結構見られているよ、なんて報告を受けて、ますます恐ろしくなる。
 神村君のポスターの写真は、つい先日行われた腎臓学会で撮った写真を使用した。まあ、それなりにきちんとした格好をしていたので、採用されたわけだ。難点は、たまたま後ろに、どこの誰とも知れないおじさんが映り込んでいたことである。さすがに後ろのおじさんと誤解されることはないかもしれないが、誤解されたら誤解されたでもう全然構わないくらいの気持ちであった。
 幸い、質問をしてくれた方はとても優しい人ばかりで、何とかトラウマを残さずに終えることができた。
 さて、この日、特筆すべきは夕食のラーメンである。店名はshogunといい、観光地ガムラ・スタンにあった。店の前には豚骨ラーメンの写真が掲げられていて、なかなか珍しい印象を受ける。
 この店のシステムはトッピングとメインを選ぶものになっていた。トッピングは唐揚げ、焼き肉、焼き鳥、ワンタン、天ぷら、チャーシューなどなど。メインの選択肢はラーメン、うどん、ご飯。一般的な日本人の感覚からすると、コンセプトが行方不明、と言いたくなる。
 メインは全員ラーメンを選択。トッピングは坪井先生が唐揚げ、金先生が焼き肉、神村君が焼き鳥を選択。
 唐揚げは小皿に盛られていて、たれ付き。唐揚げ自体はまずまずで、たれは甘いめんつゆ。焼き肉はラーメンの中に入っていて、味は想像の範囲内。焼き鳥は串に打たれていたが、味はかなりスタンダードなもので、多分、この店で一番おいしいのではないかと想像。問題は焼き鳥がラーメンの中につっこまれていたことくらいか。
 ラーメンは写真とは裏腹に豚骨ではなく、一見醤油系。具に大根とさやえんどうとにんじんが乗っていたことは仕方ない、目をつぶろう。ただ、味は完全に予想の範囲外。無理矢理表現するとめんつゆの塩分を取り去って、甘くしたみたいな味である。おそらくだが、唐揚げのたれと同じものがベースかもしれない。無言でラーメンをすする一行。その胸中はいかばかりのものであったか。店主はこちらが日本人と知るや、日本との違いを楽しんでください、と言っていたので、皆さんも楽しんでいただきたい。
 さて、明日は帰国である。神村君の懸念はとにかく陶器の気球である。この日、ハウスキーピングで気球を割られては困ると考え、ハウスキーピングお断りの札を部屋に掲げていたくらいだ。行きでロストバゲージしていたので、預けるのは論外で、手持ちのバックに入れることにした。
 しかし、アンティークの店のお婆さんが気球を包んでくれた紙と段ボールでは心もとない。どうしたものかと思案した結果、一つの解決策が思い浮かんだ。空港でもらったアメニティセットのパッケージである。やわらかい素材でできていたので、口を大きく開けると気球を入れることができ、意外にもジャストフィットした。ただ、ファスナーは閉まらなくなったので、外見は紅茶のティーポットカバーみたいになった。フィンエアも、iPadカバーに使えるよ、と書いておいたものが、気球のカバーに使われるとは想像もしていなかっただろう。
 アメニティセットを使い切った満足感の中で神村君は眠りについた。
 このとき、明日は帰るだけ、というのが一行の認識であったはずだが、その予測は空しくも裏切られることになる。

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ISSCRに行ってきたよ5

第5話 三代目加藤とフィンエアと

 第4話あらすじ:ストックホルムに行ったらラーメンを食べよう

 ストックホルムの滞在も最終日である。この日はまずストックホルムにあるカロリンスカ研究所に向かった。カロリンスカ研究所は、実は滞在するホテルから徒歩圏内にある。ただ、近くからバスも出ているので、それに乗る一行。ほどなくして到着すると正面にあるのは病院らしき建物。少し中に入って見学したが、あまりどんどん入って行ける雰囲気でもない。ラボは別のところにありそうだったが、特にアポイントがあるわけでもなく、そのまま帰ることに。
 帰りのバスはセーデルマルム島方面へ向かうバスだったので、そちらへ向かうことに。セーデルマルム島には「三代目加藤」の店があるのだ。ストックホルム通の中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれないし、いらっしゃらないかもしれないし、知るわけない気もするが、この「三代目加藤」は寿司屋である。
 ここのご主人は、空手家として世界を回り、最終的にスウェーデンにたどり着き、寿司屋を開いたというエピソードが「地球の歩き方」に書いてあった。なかなか趣き深い。三代目が何を指すのかも不明だし、スウェーデンに空手の世界で一体何があるのかも気になる。このエピソードだけでお腹いっぱいになれそうな深みを持っていると言える(え、そうでもない?)。
 そんな「三代目加藤」の店に出会えると良いな、なんて思ったり、思わなかったりしながら、セーデルマルム島をぶらぶらする三人。ちょっとした高台にあるので、市街地を臨む眺めは素晴らしい。くるくる歩き回った結果、「三代目加藤」の店には出会えず、ガムラスタンへ行くことにした。ちなみに後で振り返ると歩いたコースから「三代目加藤」にあと十数mまで接近していたわけだが、本当にどうでもよい。
 この後、ガムラスタンでコーヒーを飲み、ホテルへ戻ってチェックアウトした。ホテルにタクシーを呼び、アーランド空港に向かう。アーランド空港は来た時のブロンマ空港とは違って、かなり大きな国際空港であった。ここからヘルシンキ行きの飛行機に乗り込む一行。
 帰りの乗り継ぎはシビアであった。ヘルシンキに到着してから次の飛行機の出発までの時間が約45分の予定となっており、かなりタイトなスケジュールになっていた。
 ヘルシンキ行きの飛行機に乗り込む一行。行きで荷物をロストさせたにっくきフィンエアだが、ぜいたくは言っていられない。席はバラバラで坪井先生は前から4列目であったが、その前の席に超が付くくらい有名な方が座っていて、さすがISSCRと言いたくなる。神村君は一番後ろの席で、その横には日本人らしき人が座った。
 そうして乗り込んだものの一向に飛び立つ気配がないまま、時間が過ぎて行く。ただでさえ乗り継ぎがぎりぎりなのに、参ったなと思いながら、神村君はスマートフォンで小説を読み始める。何を隠そう、飛行機内は読書派なのだ(だから?)。
 すると、隣の日本人らしき人が、話しかけて来た。小説で日本人とばれたからだ。
 話してみると、やはりISSCRの参加者で、大阪に向かうという。大阪行きは名古屋行きの10分後くらいとのことだったが、それでも心配そうであった。ネットで次の飛行機を検索したりしているが、どうもこの日は、今から乗り継ぐもの以降の日本行きはない様子。東京、大阪、名古屋行きが同じ時間帯に重なっているようだ。「さすがに待っててくれませんかね」と神村君が言うと、「いや、海外は平気で置いてきますよ。アメリカとかそうでした」と経験豊富さをのぞかせるが、全くもって不吉で、そして、完全に無意味である。飛行機は出発予定時刻を15分すぎても全く動かない。
 自力でどうにかできる範囲を超えているので、小説を読み進める神村君。しばらくすると1人、遅れて飛行機に乗ってきて、そこからまたしばらくして飛行機が動き始めた。離陸したのは次の便が出発する1時間と10分前のこと、約30分遅れの出発であった。
 隣の方は偶然にも同じ間葉系幹細胞を研究されており、しかも腎臓が治療ターゲットとのことであった。意外な接点もあり、機内では間葉系幹細胞の話をして過ごした。神村君のポスターの内容をちょっと覚えておられたりして、震え上がる神村君(ただいま,一部に過剰な表現がございました)。
 ほどなくしてヘルシンキに到着。着陸した時点で次の便の出発予定時刻20分前くらい。着陸したと言っても飛行機から出られるまでに時間がかかるし、一番後ろの席だとなおさらである。ようやく飛行機を出たところで、走り出す。既に坪井先生と金先生の姿はみえない。東京行きのお客様はいませんか、と職員が探していたりして、名古屋行きを探していないことに不安を覚えるが、とにかく走るしかない。出国手続きを終え、再び走ると目的のゲートが見えてくる。ゲートの向こうで坪井先生と金先生が待っていてくれて、安心する神村君。無事に3人とも名古屋行きの飛行機に乗ることができた。
 名古屋までは9時間弱。行きよりも1時間程短い。日本はこれから深夜になろうという時刻なので、機内では寝て過ごすのがベストだが、隣の人が延々映画を見続けたためにチカチカしてほぼ眠れず、日本に着いた。
 中部国際空港に降り立ち、荷物を待つ3人。「神村先生のはまた届かないかもね」なんて冗談を言いながら流れてくる荷物を眺める。同乗者は次々と荷物を手に去って行く。なかなか荷物が流れてこないので、あたりを見ると、係員らしき人が紙のリストを見ながら、乗客に声をかけている。どうやら荷物が届かなかった人のようで、別の方に連れて行かれていた。こちらに声をかける様子はないので、一安心。
 しかし、荷物は流れてこない。今回は神村君のものだけでなく、3人とも、である。
 行きで荷物が届かなかった神村君は既に無我の境地である。宇宙と一体になり、時の流れに身を委ねれば、全ては雑事。帰りの荷物が届かないなどいかほどのことか(行きに比べれば)。でも、届いて欲しいなあ。そんな気分だ。
 全ての荷物が出揃ったが、やはり3人の荷物はない。先ほどのリストを持った係員に声をかけると、荷物が届いていないリストにばっちり3人の名前が載っている。「フィンエアはロストが多いですね」なんて言われても、何の慰めにもならない。できることといえば、二度とフィンエアには乗るまいと誓うことくらいである。
 まあ、できれば、ヘルシンキには行ってみたいけど。

ISSCRに行ってきたよ3

第3話 野望と気球と

 第2話あらすじ:荷物が届かない神村君を坪井先生が助けてくれたよ。金先生のポスター写真が自撮りだったよ。

 3日目の朝である。依然として神村君の荷物は届かない。ホームページのステータスも空港に到着した状態で更新されていなかった。神村君は割とのんびりしているので、空港は近いし、届かなければそのうち取りに行けばいいや、くらいに考えていたが、ここで坪井先生が動き出す。頼もしいことこの上ない。
 神村君はJALのスウェーデン支局に電話することに。坪井先生はブロンマ空港に電話することに。
 桃太郎か。
 JALはまず電話が繋がらない。ようやく繋がってもうちの管轄ではないという素っ気ない対応。
 ブロンマ空港の方は当たりで、ホテルに送ってもらえることになった。向こうに言わせると、神村君に電話が繋がらなかったとのことだが、こちらは旅行者なのでWifiがなければ繋がらないのは当たり前だろう、というのが神村君の感想である。メールアドレスを伝えているので、そちらで対応すれば良いところであるが、もう本当にいい身分としか言いようがない。
 この日は、スカンセンというスウェーデンの伝統的な生活を伝えるためのテーマパークに行った。400〜500年くらい前からの民家などが移築されていたり、学校や農場なども再現されている。さらに、動物園や水族館などもあって、子供連れにはうってつけのところだ。日本で言うと、明治村と日光江戸村が一緒になって、遥かに地味にしたみたいな印象である。え、動物の要素?日光江戸村に猿とか、にゃんまげとか、いなかったっけ?まあ、日光江戸村には行ったことがないので勝手なイメージだ。
 船で観光の中心、ガムラ・スタンに戻り、昼食を食べた後、神村君は別行動を取る。
 この日の朝,神村君は坪井先生と金先生に、どうしても行きたいところがある、と告白をしていた。ストックホルム郊外にあるグスタフスベリにどうしても行きたかったのである。ここには、今、大人気のリサ・ラーソンの工房があるのである(え、知らない?)。神村君は、実は十数年の経歴を持った若手ながら気鋭のコレクターである。その神村君が数年前から注目していた作家の工房が近くにあるわけで、このチャンスをみすみす逃すわけがない。これが、神村君の秘めた野望であった。
 彼女の工房は高速バスで30分ほど乗ったところにあった。バス停からほど近いところに陶器のショップ、博物館などが集まった場所があり、その中にあるのである。工房は初めからオープンな状態で、観光客が訪れることが想定されている作り。やや珍しいものも置いてあるが、日本で入手困難なものはあまりないのを確認する。工程を見学できたのが大きな収穫であった。
 工房の隣にアンティークの店があるので、そこを覗く。カウンターの後ろにリサ・ラーソンの作品が置かれていたのだが、その中に目を引くものがあった。気球である。
 神村君は既にその価値を知っていて、心の中の欲しいものリストに入っていた。にわかに緊張する神村君。しかし、カウンターの奥にあるので、売り物かどうかもわからないし、値段もわからない。ベルを鳴らすが、店員さんも出てこない。緊張した時間がゆっくりと流れる。
 数分するとお婆さんが入ってきた。謝りながらカウンターの中に入る。どうやら店主のようだ。気球が売り物かどうか尋ねると不敵な笑みを浮かべ、「もちろん」と答える。さらに、「とても高いけどね」と付け加え、こちらに気球を持ってきてくれた。小さな値札が貼られていて、確認すると現地の通貨単位で5桁である。お婆さんは気球の価値について説明してくれた。コレクターの神村君には既知の情報である。頭は完全に他のことを考えていた。
 さすがにちょっと価格面で躊躇したが、何よりも気に入ったシリーズが目の前にあるのだから、しばらく悩んだ後、購入することを決断した。お婆ちゃんが紙と段ボールで何重にも包んで、白のビニール袋に入れてくれた。貴重な割に簡素な包みでどきどきする神村君。
 もう帰り道は緊張しっぱなしである。傍目にはスーパーでスイカかメロンでも買ってきたかのようにみえるはずだが、緊張した面持ちでビニール袋を小脇に抱えるアジア人が、現地の人の目にどのように映ったのかは想像するしかない。
 ホテルに気球を避難させた後、学会会場に向かい、この日もポスターを見学。坪井先生と金先生に合流し、経緯を報告したところ、めちゃくちゃ驚かれた。そんな3日目のストックホルムの夜である。
 どうでも良いが、学会の話題が少なすぎるのではないか、という懸念がわずかながら存在する。どうでも良くない、という意見もあるかもしれない。貴重な意見である。
 そう言えば、この日の夜に神村君の荷物が届いた。もちろん大変安心したわけだが、気球のインパクトが強すぎて、後で振り返るとこれくらいのインパクトであった。
 残すところ、2日である。


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